ある研究者の方による「最高裁に告ぐ」のレビューです

よくぞ書いてくだっさったと思いました。
ここまで具体的事実を書かなければならなかったと思います。

前半は分限の話ですね。これまでに発信されてきたことに加えて、大事な事実経
過が記されていますね。

メディアの劣化の象徴として抽象論ではなく、記者の実名を出したことは良かっ
たと思います。

「裁判官を辞めさせられるのは怖いが、SNSをやめることは、裁判官としてで
きない。自分の人権も守れない人間が当事者の人権を守れるはずがない」旨の一
文、他の裁判官らがどのような心境で受け止めるか、非常に大事な一文だと思い
ました。

後半の、昨今の最高裁判決の法理論の脆弱性は、まったく同感で、私も危惧して
いる点です。

拝読して一番感じたことは、ここで書かれていることの奥にある問題の本質を、
どれだけの読み手が理解するか、ということです。

岡口さんの仰るように、裁判官の公平・公正は虚像であってはならず、ありのま
まの裁判官を国民が知り、そのうえで承認するべきものだというのは正論ですが、
しかし、それをなしうる国民(つまり、権力というものを理解し、権力分立を理
解し、司法権の独立を知ったうえで裁判官がどうあるべきかを自分の頭で考え得
る人間)が「現実問題として」どれだけいるのか。
岡口さんのご著書に書かれている内容の本質を理解することができる人間がどれ
だけいるか、という問題。

今回の問題を踏まえて改めて感じたのが、
裁判所当局の人々の言動(組織統制や裁判官コントロールを含め)は、「そうい
う思想に基づく行動」なのか、
又は「思考停止した(全体主義の結果としての)無思想的行動」なのか、という
疑問です。

おそらく後者だと思うのです。

そうすると、「官僚裁判官の無思想性を批判することができるか?」という問題
が浮上します。

無思想性を批判できない場合、どこに向けて何をする必要があるか…。