分限裁判の記録 岡口基一

分限裁判の記録です。研究者の方向け

大林啓吾千葉大准教授による岡口分限決定の評釈です。

大林啓吾千葉大准教授による岡口分限決定の評釈です。 

 

まず、今回の件は、表現の自由がストレートに問題になるにもかかわらず、その判断をすっ飛ばしたことを批判されています。

「もし本件ツイートの表現が低価値なカテゴリーに分類されるが故に表現の自由の枠外にあるとすれば、保護されない範囲を確定しなければならないはずであるが,本件決定はそれを行っていない。本件ツイートはそもそも低価値とはいえない可能性もある。」

「品位毀損行為といえども,それが表現的内容を含むことはおおいにありえることであり,その結果品位毀損行為規制が表現の自由を制約することがある。とすれば,これは表現の自由の問題になるはずである。」

 

次に、裁判官の慎重行動義務についてその根拠が明らかでないと批判されています。

岡口分限決定は、国民の信頼確保から裁判官には慎重行動義務が要請されるとしましたが「ここでは国民の信頼という原則がやや唐突に登場しており、なぜ裁判所が国民の信頼を維持しなければならないかにつての説明がされていない。それが明らかにされなければ裁判官の慎重行動が薄弱な根拠の下に成り立ってしまうことになってしまう。」「ここで刮目すべきは最高裁司法権を行使するに際しては国民を維持しなければならないことを殊更に重視している点である。」

 

なお、裁判官の慎重行動義務については、司法に対する政治的介入への警戒がその根底にあるという見方があります。「実際岡口判事は裁判官訴追委員会から聴取を受けており、品位毀損行為が政治的パフォーマンスの材料として使われるおそれは否定できない。かつてハミルトンは司法について剣も財布も持たない存在であると語っていた。」

 

最後に、国民の信頼に応える司法とは何かという観点からの検討をされています。

例えば、裁判所が、「重要な権利の一つである表現の自由を重視する姿勢を見せてこそ、自らの自由を保障してもらえるという国民の期待と信頼に応えることになる」とされています。

「本件はSNSという現代的ツールを用いた表現が問題となった事案であり、」「裁判官によるSNS発信に寛大な態度をとることで得られる国民の権利保障全般に対する期待の効果、あるいは本件ツイートが指摘した判決について議論を誘発する要素が国民に対してその存在を知らせ議論をさせる利益」なども検討すべきであったとされています。

なお、この「知る権利」の観点からの指摘はすでに複数の憲法学者からされています。

このように、国民の権利保障を行う(=国民の信頼に応える)裁判所というものが問われていたにもかかわらず、その点の判断が十分ではなかったとされています。

 

さらに、「裁判官に対する国民の信頼は優れた裁判によって確保されるべきであ」るともされています。

例えば、東京高裁がした判断が過去の判例に違反していたため、それも理由の一つとして上告がされた東京朝鮮学校裁判で、まさかの「三行半」決定をした最高裁第三小法廷。こんな事件処理をしてしまう最高裁判事では、国民の信頼は全く得られないということです。

 

 

判例時報2424号170頁